大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)3529号 判決

原告 馬相烈

被告 国 外一名

主文

一、被告国は原告に対し金二、九六五、〇五〇円およびこれに対する昭和四三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告の被告国に対するその余の請求および被告大阪府に対する請求はいずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用は、原告と被告国との間に生じた分はこれを二分して各その一をそれぞれ原告と同被告の負担とし、原告と被告大阪府との間に生じた分は全部原告の負担とする。

四、この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。但し被告国が金一、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告らは各自原告に対し金八、七四五、五五〇円およびこれに対する昭和四三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

二  被告ら

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

(三)  被告国につき、仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事実の経過

1 虫垂炎発病

(1)  原告は昭和四一年一〇月当時韓国船北海号に就役する船員であつたが、同月二日大阪府水上警察署員(以下、水上署員という。)に出入国管理令違反幇助の嫌疑で逮捕され、大阪府港警察署(以下、港署という。)に留置、勾留された。

(2)  原告は右勾留中の同月七日虫垂炎を発病し、前記各署員にくり返し腹痛を訴え手術を懇願したが、仮病であるといつて取合われず、そのまま取調を強行された。そしてようやく同月九日内藤病院で山本守医師に診察して貰い手術の必要を告げられたが、前記署員らはなお右診断を無視し、原告の手術の要求を拒否して何らの医療措置も講じなかつた。

(3)  原告は同月一二日大阪拘置所に移監されたが、その後も腹痛が激しく、山本可也医務部長や担当看守らに対し治療費は自己負担でいいから設備の整つた外部の病院で手術を受けたい旨くり返し懇願したが、その都度拒否され、満足な医療も受けられないまま後記手術まで放置された。

2 虫垂切除手術の過誤

原告は同月三一日、大阪拘置所四条拘禁所で喜多幅知郎医師の執刀による虫垂切除手術を受けたが、虫垂間膜の結紮が不完全のため手術後出血をはじめ、貯溜した血液が大腸菌感染により膿化して腹膜炎を起し、更に麻痺性の腸閉塞を発生させるに至つた。

3 右手術後の措置

原告は右内出血のため同年一一月四日頃から苦痛が激化し、下腹部が異常に膨満してきたので、右拘禁所の医官、看守らに何度も再手術を懇願したが、従前同様これを拒否されたまま放置された。そして生命の危険が生じるに至つてようやく同月一一日勾留執行停止措置がとられ、同夜大阪市内小川病院に救急搬送されて直ちに手術を受け、奇跡的に一命をとりとめた。

4 加害行為

以上のとおり港署員、水上署員、大阪拘置所職員らは、原告の再三の申出を拒否して適時適切な診療を受けさせず、また喜多幅医師はその手術の過誤により、それぞれ原告の病状を悪化させて瀕死の状態に陥らせ、再手術をよぎなくさせて、原告に対し後記財産的および精神的損害を被らせた。

(二)  関係者各人の故意、過失と被告らの責任

港署員および水上署員は、被告大阪府の、また大阪拘置所職員は被告国の各公務員であつて、いずれも原告ら収容者の人身を拘束する公権力の行使にあたるとともに、十分な医療体制のない右警察、拘置所において、これら収容者がその信頼する医師の診療を受ける当然の権利を侵害してはならず、又はこれにかわる十分な医療措置を講ずることの職責を有するものであり、また喜多幅医師は大阪拘置所の嘱託医で、同所長の委託により前記虫垂切除手術を行つたものであるから、前記職員、喜多幅らの叙上各所為はすべて被告らの公権力の行使としてなされたものといわねばならない。そして右職員らは前記職責に違反し、不法に原告の診療の要求を拒否してこれを放置し、また喜多幅医師は手術を完全に履行すべき医師としての当然の注意義務を怠り、それぞれ共同して原告に損害を加えたものというべく、仮りに右損害がこれら共同行為者中の一部の者の所為によるとしても、その何人かを知ることができない。また原告は韓国籍の者であるが、同国も日本と同様国家賠償義務を定め、相互保証主義をとつているから、被告らは国家賠償法一条一項、四条、六条、民法七一九条により連帯して原告の損害を賠償する義務がある。

(三)  損害

1 財産的損害

(1)  小川病院入院治療費 金一、四六五、〇五〇円

原告は前記手術後昭和四二年二月九日まで同病院で入院加療を受けた。

(2)  釜山中央病院治療費 金一一、五〇〇ウオン

(3)  漢方医治療費 金四〇、五〇〇ウオン

原告は小川病院退院後帰国し右(2) (3) の治療を続けた。

(4)  休業等による逸失利益 金一五八、三七五ウオン

原告は昭和四一年一〇月当時一月一七、五〇〇ウオンの給与を受けていたが、本件により同年一一月分から昭和四二年七月一五日まで半減され、同月一六日から昭和四三年五月三一日まで毎月八、〇〇〇ウオンを減額された。

なお一ウオンを二七〇分の三六〇円の比率で換算すると(2) (3) (4) の合計は金二八〇、五〇〇円となる。

2 精神的損害 金七、〇〇〇、〇〇〇円

原告は他国で拘束(前掲出入国管理令違反幇助事件で起訴されたが、昭和四二年一月二四日無罪判決があり、確定した。)されて発病し、適正な診療もうけられず遂に生命の危機にも遭遇する程になつて果しない不安や苦痛を味わつた。また小川病院を退院帰国してからも船員にとつて不可欠の健康が回復せず、将来に対する不安も測り知れない。

(四)  よつて原告は被告らに対し連帯して右損害合計金八、七四五、五五〇円およびこれに対する履行期後の昭和四三年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告国の答弁および主張

(一)  請求原因事実の認否

原告が昭和四一年一〇月一二日以後大阪拘置所に収容され、同月三一日同所四条拘禁所で喜多幅知郎医師の執刀による虫垂切除手術を受けたこと、次で同年一一月一一日腸閉塞と診断され、勾留執行停止措置がとられて、同夜小川病院で再手術がなされたこと、大阪拘置所職員が被告国の公務員であつて原告ら収容者の身体を拘束する公権力の行使にあたる者であることは認めるが、右職員らが原告の病気を放置して適切な診療を行わなかつたこと、及び前記喜多幅医師の手術に過誤があり、そのため原告が腸閉塞に罹患したとの点は、すべて否認する。

(二)  虫垂切除手術までの大阪拘置所本所における診療の状況

1 原告の大阪拘置所収容の翌日である昭和四一年一〇月一三日、その申出により同所医務部長山本可也が診察したところ、亜急性虫垂炎と認められたが、早急な手術を必要とするような病状ではなかつたので、一応原告を独居房に移して横臥を許可し、内服薬を投与した。なおその際原告から外部の病院で虫垂切除手術を受けたい旨の申出があつたが、山本部長が大阪拘置所四条拘禁所に手術設備があり、必要なときはそこで手術を受けられる旨説明すると、原告もこれを了承し、以後再び同様の申出をすることはなかつた。

2 その後病状の経過は順調であり、一九日の診察では腹部所見もほとんど消失していたが、二六日に至り原告から腹痛の訴えがあつて、山本部長が診察したところ虫垂炎の再燃と診断された。そこで同部長から原告に手術を勧めたところ、原告は二八日の第一回公判までは手術をしたくないといい、腹痛も軽度で一日を争うような症状でなかつたので、同部長は原告の希望を容れ、炎症の進行防止のため抗生物質の投与等を行つて様子をみることにした。そして二九日原告から手術の要請があつて、三一日午後原告を四条拘禁所へ移送し、前掲虫垂切除手術が行われたのであり、山本部長らが原告に対する診療を怠つたことはない。

(三)  喜多幅医師の虫垂切除手術

右手術は約二〇分で終了したが、術後所見によると典型的な虫垂炎であり、虫垂の病変および炎症症状も極めて軽微で、同医師の医療処置に何ら誤りはなかつた。

(四)  虫垂切除手術後の経過

1 右経過は当初概ね順調であり、一一月五日抜糸したが、七日から下痢症状がみられ回盲部に圧痛を訴えはじめた。そして翌八日午後から発熱、一一日には下腹部の疼痛と膨満がみられ、喜多幅医師により腸閉塞と診断されたため、同拘禁所では外部病院において開腹手術を受けさせるべく直ちに勾留執行停止の手続をとり、同日午後七時二〇分原告を出所させた。

2 右四条拘禁所収容期間中は原告の症状に応じ同所医務職員らにおいて適宜必要な医療処置を施している外、夜間看病夫も付添わせており、病状の悪化を漫然放置していたことはない。また原告からの再手術の懇願などもなかつた。

(五)  虫垂切除手術と腸閉塞の因果関係

虫垂切除手術後腸閉塞の発病することは極めて稀であり、腸閉塞にも麻痺性や癒着性のものなどがあつて、その態様により患者の身体的要因その他様々の原因が考えられるから、原告の腸閉塞が直ちに本件虫垂切除手術の結果によるものと断定することはできない。

三  被告大阪府の答弁および主張

(一)  請求原因事実の認否

請求原因(一)1(1) の事実、および同(2) (3) の事実中山本守医師の診察と原告の大阪拘置所への移監の点は認めるが、港署や水上署員らが前記診断や原告の診療申出を放置して適切な措置をとらず、そのため原告が損害を被つたとの点は否認する。

(二)  警察勾留中(昭和四一年一〇月四日から同月一一日まで)の診療の状況。

1 四日午後六時前ころ原告が腹痛を訴えたため谷内清医師の診断を受けさせたところ、軽い胃炎で身体拘束や取調に支障はないとのことであり、投薬等の処置がなされた。

2 五日原告から北海号においてある漢方薬を服用したいとの申出があつたので、これを取寄せ以後毎日服用させた。なお同日から七日まで原告の健康状態に異常はなく、八日も取調中に腹痛を訴えたことはなかつた。

3 八日午後六時ころ原告は港署留置場において再び腹痛を訴えたので、直ちに谷内医師の診断を受けさせたが、異常はなかつた。更に念のため大阪地方検察庁に連絡し内藤優医師の診断も受けさせたところ、虫垂炎の疑いはあるが入院の必要はないとのことであつた。なおこのことは直ちに原告弁護人河原正にも通知した。

4 更に原告の希望で九日にも山本守医師の、一〇日、一一日にはいずれも内藤優医師の各診察を受けさせた。

5 このように港署勾留中原告は腹痛を訴えたこともあつたが、その都度担当者が医師の診察を受けさせるなど原告の身体の保護には細心の注意をしており、その診療を妨げたことはない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  韓国船北海号の乗組員であつた原告が昭和四一年一〇月二日水上署員に出入国管理令違反幇助の嫌疑で逮捕され、同月一一日までは港署に、翌一二日からは大阪拘置所にそれぞれ留置、勾留されたことは、原告と被告大阪府との間で争いがなく、被告国との間では弁論の全趣旨から成立の認められる甲第九号証及び原告本人尋問の結果から認めることができる。また原告が同日大阪拘置所に移監された後、同月三一日同所四条拘禁所で喜多幅知郎医師による虫垂切除手術を受け、次で同年一一月一一日腸閉塞と診断され勾留執行停止決定があつて、同日大阪市内小川病院において再度手術を受けたことは、原告と被告国との間で争いがなく、被告大阪府との間では前記各証拠から認めることができる。

二  原告は、港署に勾留中の昭和四一年一〇月七日虫垂炎を発病し、激痛に苦しんで医師の診療や手術をくり返し懇願したのに、前記警察、拘置所職員らはほとんどこれをききいれないで原告を放置し、更に虫垂切除手術中の過誤のため腸閉塞に罹患させ、その後も同様適切な医療措置を講じないで病状を悪化させたと主張する。そして被拘禁者がその必要もないのに勝手に医師の診療を受けることが許されないのはもちろんであるけれども、監獄又は代用監獄として被疑者、被告人らを拘禁する拘置所や警察においては、法令に従いこれら被拘禁者の行動の自由を制限する反面、その身体の安全のため病状に応じ適切な医療行為をなすべきこともいうまでもないところ、被告らは原告に対する診療に欠けるところはなく、前記虫垂切除手術にも誤りはなかつたと主張するので、その事実関係から順次検討する。

(一)  本件虫垂切除手術までの原告の疾病およびこれに対する医療措置について

成立に争いのない甲第七号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認めることができる甲第七号証の二ないし四、証人山本可也の証言により真正に成立したと認めることができる乙第一号証の一、二、証人奥村三郎の証言により真正に成立したと認めることができる丙第一、第二号証、同証人らおよび証人喜多幅知郎の各証言、原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は前記逮捕後水上署外事課山下勇警部補、奥村三郎巡査部長らの取調を受けていたが、一〇月四日腹痛を訴えたので、山下らが同日午後六時ころ港署で警察医谷内清に診察させたところ、軽い胃炎であつて取調に支障はないとのことであり、鎮痛剤等が与えられた。

2  翌五日取調の際原告から、以前胆石を患つたときの漢方薬を船においてあるから飲ませてほしいとの申出があつたので、奥村らは係員を北海号に派遣してこれを取寄せ、水上署内で煎じて服用させた。更に六日、七日にも同様服用させたが、この間腹痛などの訴えはなく、八日朝の谷内医師の定期検診や同日の取調の際にも別段異常はなかつた。

3  原告は八日取調後港署で再び腹痛を訴えたので、連絡をうけた水上署員らが同日午後七時ころ原告を近くの内藤病院に連れて行き内藤優医師の診察を受けさせたところ、慢性虫垂炎の疑いがあるとのことで、皮下注射をし鎮痛剤が与えられた。なおこのことは同夜すぐに奥村から原告の弁護人河原正らに連絡されたが、その後も同弁護士らから水上署や港署員に対し手術の要求などはなかつた。

4  九日、一〇日は連休で取調がなく、九日には内藤病院の山本守医師が港署まで往診して静脈注射等をし、山下も原告の様子をみに同署へ赴いた。また一〇日には内藤医師が往診して注射し、奥村も様子をみに行つたが、原告は手術を求めるようなことはなく、むしろ大丈夫だから早く取調をすませてほしいといつていた。そして翌一一日水上署では、密航者を運んだことはない旨の犯行否認のままで原告に対する取調を終了し、次で奥村らが原告を連れて再度内藤病院に赴き、内藤医師から慢性虫垂炎のため約四週間の加療を要する旨の診断書を受領したが、そのときも同医師は早急に入院手術する必要は認められない旨言明していた(前記九日の山本守医師の診察の点は、原告と被告大阪府との間で争いがない。)。

5  原告は大阪拘置所移監の翌一三日腹痛を訴え、直ちに医務部長山本可也医師の診察を受け、虫垂炎にかかつていることを告げて、費用は負担するから外部の病院で手術したい旨申出た。しかし栄養状態、脈搏、熱等いずれも正常で、腹部に筋抵抗もなく、虫垂炎の症状は鎮つていたので、同医師は一応亜急性虫垂炎と診断したが暫く様子をみることにしてすぐに手術の必要を認めず、むしろ肝機能に障害があるとして、化膿止め、鎮痛剤、肝臓薬を投与し、原告を独居房に移して横臥を許し、必要なときは拘置所内で手術をすることができる旨を告知した。そして以後原告はもとより河原弁護士からも同医師その他拘置所職員に対し外部での手術を申出るようなことはなかつた。

6  原告はその後前記薬の服用を続け、一九日になつて前記山本医師に症状がよくなつたので雑居房に戻りたいと申出たが、同医師は診察の結果もう少し安静にしていた方がよいといつて引続き独居房に横臥させ、前同様の投薬を施した。

7  ところが二六日原告は再び疼痛を訴え、同医師が診察したところ三七・一度の微熱があり腹部もやや膨満して回盲部に多少筋抵抗がみられたので、虫垂炎の再燃と考え切除手術を勧めたところ、原告は二八日が第一回公判期日でその結果釈放されるかもしれないから、出廷のため手術を見合わせてほしいと希望し、症状も一日を争うほどの状態ではなかつたので、同医師も右希望をいれて炎症の進行防止のため抗生物質を六時間毎に投与し、回盲部を氷のうで冷あんすることにした。そして二八日の診察では体温三六・九度、腹部の抵抗もやや解け、回盲部の所見も著名でなく、症状に落着きがみえたので希望どおり出廷させた。

8  翌二九日に至り原告から、公判の結果当分出られそうにないので、手術してほしい旨の依頼があつたので、同医師は直ちにその設備があり従来から虫垂切除手術等を行つていた四条拘禁所に連絡して前記手術の手配を頼んだ。そして原告は三一日同所に移送されて本件虫垂切除手術を受けたのであるが、そのときの所見でも、虫垂が盲腸壁に軽く癒着しジヤクソン氏膜が形成された典型的な慢性虫垂炎の症状であつて、化膿もあまりなく、手術としても何ら手遅れの状態ではなかつた。

前出甲第九号証の記載および原告本人尋問の結果中、前記警察、拘置所職員らが仮病だといつて原告に取合わずその病気を放置していたとの部分、その他右認定に反する部分は、その余の前掲各証拠に照らしてたやすく信用し難く、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の事実に証人喜多幅知郎の証言をあわせると、原告が前記拘禁中虫垂炎にかかり、そのため痛みも相当激しいものがあつたことは明らかであるけれども、一方右虫垂炎は当初すぐに手術をしておかねばならないというほどのものでなく、またその痛みには個人差があるものの、原告の場合は開腹時の所見からも特に手術前に激痛が続いていたとは考えられず、更に抗生物質の使用等によつて虫垂炎を鎮めることもできるのであつて、拘置所移監までの谷内、内藤、山本守各医師および右移監後の山本可也医師の診断や投薬等による医療行為には何らの誤りはなく、また拘置所職員である山本可也が当時原告の自費による外部病院での手術の希望をいれなかつたのも相当であつて、前掲警察、拘置所職員らが前記原告の疾病に必要な診療を不当に妨げ、又は医師の診断を無視してその治療をうけさせないなど、適切な医療措置を怠つていたとすることはできない。

(二)  虫垂切除手術とその後の医療措置について

成立に争いのない甲第四号証、前記乙第一号証の一、二、証人植田市蔵の証言から成立の認められる乙第二号証、証人喜多幅知郎、同江口隆、同植田市蔵、同山本博典(後記措信しない部分を除く)の各証言、原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

1  喜多幅医師はもと法務技官として大阪拘置所に勤務し、その後枚方市で開業していたが、当時同拘置所および四条拘禁所は外科医師が欠員のため、必要の都度同所長の依頼で被収容者の手術等にあたつていたところ、同様依頼をうけて昭和四一年一〇月三一日午後三時から、保健助手である山本博典と古浦猪一郎が助手となつて本件虫垂切除手術を開始し、出血を防ぐため虫垂間膜を二重に結紮して虫垂を切断し、血液等の浸出液をガーゼでふきとつて二〇分位で右手術を終了した。

2  原告は手術後病舎に収容されて安静にし、四条拘禁所勤務の内科医永井、真鍋両名のうち、始め永井から手術後の検診、注射、投薬等をして貰い、一一月五日には抜糸も終つた。そして本来なら手術後三、四日で痛みや熱がとれる筈であるが、原告の場合逆にこのころから腹部がはれて鋭く痛み、熱も出てきたので、永井に訴えたが、別段の対応策も講じられず、次第にこれがひどくなつて七日真鍋が検診し薬をかえてみたがその効果がなく、永井が喜多幅医師に電話で問い合わせ、その指示でクロマイ、メチロン等の抗生物質や解熱鎮痛剤等の注射をしたが好転せず、一一日永井らの依頼で喜多幅医師が拘禁所へ赴き診察したところ、腹部が著しく膨隆し、激痛のため腹壁筋肉の硬直がみられ、腸雑音もききとれず、急に開腹手術をしなければならない状態に陥つていることが分つた。

3  そこで既述のとおりすぐに勾留執行停止の措置がとられ、小川病院で同夜江口隆医師らの執刀で全身麻酔による開腹手術が行われた。その結果、原告の臍の下からダグラス窩にかけて約二、〇〇〇ccの腹部内出血があり、これが大腸菌等の感染で半ば膿化して腹膜炎を起し、前記膨隆や激痛の原因になつていたこと、また腸自体も互に癒着し、その表面が右血膿の一部凝固したようなものでおおわれ大腸菌に感染し炎症を起して破れ易くなり、麻痺性の腸閉塞になる寸前の極めて危険な状態にあつたこと、更に前記内出血はこの開腹手術の一週間余り以前から徐々に始つてきたものであることなどが分つた。そして本件虫垂切除手術以外に、右内出血の原因となるような外部的圧力があつたことの痕跡、或は原告の体質的な出血性素因などは認められなかつた。

証人山本博典の証言中右認定に抵触する部分は信用し難く、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の事実に証人江口隆の証言をあわせると、他に特段の事情の認められない本件において、前記内出血は本件虫垂切除手術時における止血不十分、即ち虫垂間膜の結紮がいずれも弱かつたか又は結紮した糸が後ではずれたなど、右結紮の不完全のため手術が終つてから徐々に虫垂間膜の断端からの出血が続いたことによるもので、そのため約二、〇〇〇ccの血膿が腹腔内に形成され限局性腹膜炎を発病して前記事態に至つたと認めるのが相当である。証人喜多幅知郎の証言中右認定に反する部分はたやすく採用し難く、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

そして本件虫垂切除手術において、その断端部の結紮が一般の同種手術の場合に比べ特に困難を伴うようなものでなかつたことは、従前認定事実及び証人江口隆の証言からも認められるから、結局喜多幅医師には本件手術において前記結紮を完全になすべき医師としての当然の義務を怠つた過失があるものというべく、また手術後原告の治療や経過観察にあたつた永井、真鍋両医師としては、前記内出血による原告の腹部の異常などから、その再手術の訴等をまつまでもなく、自ら又は上司に連絡し早期に喜多幅医師の指示来診を求めるなどして、早くその原因を究明し、適切な医療措置をとるべきであつたのに、これを怠つて原告の病状を悪化させた点で、その過失を否定することができない。

三、被告らの責任

(一)  喜多幅医師は永井、真鍋両医師と異なり、開業医であつて国の公務員ではないが、大阪拘置所長の委託により本件虫垂切除手術に及んだものであり、監獄法施行規則一一七条一項によれば、所長は必要な場合監獄の医師以外の医師に治療の補助をさせることができるところ、右拘置所長ら拘置所職員が国の公務員として原告ら収容者の身体を拘束する公権力の行使にあたる者であることは原告と被告国との間で争いがなく、これら拘束に伴う拘置所での医療行為が同様公権力の行使にあたることはいうまでもないから、被告国は前記委託に基づく履行補助者としての喜多幅医師、及び拘置所職員である永井、真鍋両医師の所為につき、国家賠償法一条一項、六条により、そのため原告の被つた損害を賠償する責任を負うものといわねばならない(原告が韓国籍を有する外国人であることは弁論全趣旨から明らかであり、成立に争いのない甲第三号証の一、二によると、韓国では一九五一年法律第二三一号により我国と同様国家賠償義務を定め、相互保証主義を採用していることが明らかである。)。

(二)  次に、港署や水上署員はもちろん、同署員の依頼で原告を診療した各医師、更に以上以外の拘置所職員らが原告の疾病に対する医療措置の適切を欠き、不当にこれを放置したことの認め難いことは前認定のとおりであるから、被告大阪府に対する請求、および被告国に対するこの点での請求は、爾余の点を検討するまでもなくすべて失当といわねばならない。

四  損害

(一)  前記各認定事実および前出甲第四号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件虫垂切除手術の不完全およびその後の医療措置の過怠のため、勾留執行停止措置の後、小川病院で再手術をよぎなくされ、引続き同病院に昭和四二年二月九日まで約三ケ月間入院治療を受けたが、その治療代として金一、四六五、〇五〇円を要したことを認めることができる。

(二)  原告請求のその余の財産的損害については、前出甲第九号証、成立に争いのない甲第一号証、および原告本人尋問の結果によると、原告は小川病院退院後すぐ帰国(出入国管理令違反幇助被告事件は昭和四一年一〇月一三日起訴後昭和四二年一月二四日無罪判決があり確定した。)し、暫く釜山中央病院へ通院したり漢方薬を服用したりして健康の回復につとめ、昭和四二年七月中頃から再び韓国船に乗組み軽労働に従事するようになつたが、一人前の仕事ができず従前どおりの給与をうけられなかつたことが認められるけれども、その経費や給与等の具体的金額即ち前記損害の額が右各証拠によつても判然とせず、他にこれを認めるに足る何らの資料もないので、右の事情は後記慰藉料の算定につき斟酌するが、前記財産的損害の請求としては結局排斥を免れない。

(三)  以上認定の諸事情、殊に原告が虫垂切除手術の不手際からその後他国の拘置所において激痛や不安に苦しみ、幸い再手術が成功したものの、生命も危ぶまれる程の危険な状態にさらされて、著しい肉体的、精神的苦痛をうけ、その後も体力の回復に手間取つて経済的にもかなりの減収をよぎなくされていると思われることを考慮すると、原告の慰藉料は金一、五〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。

五  結論

よつて原告の被告国に対する請求のうち金二、九六五、〇五〇円とこれに対する履行期後である昭和四三年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分については理由があるからこれを認容し、原告の同被告に対するその余の請求および被告大阪府に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言およびその免脱宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 黒川正昭 青木敏行 南敏文)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例